フライフィッシングで岩陰や流れの巻き返し、或いは流心の中から大きなドライフライに飛び出す個性豊かなイワナと出会うことが無上の愉しみとなっています。
しかし一般的にはどうでしょう。ルアーやフライフィッシングのファンなら九頭竜川と言えばサクラマスが代名詞でしょうし、そうでなければやはり鮎(アユ)の銘川として名高いことは周知の通りです。
実際、僕が先日訪れたときも、車窓から眺めるだけで実にたくさんの鮎師がひしめき合っていました。正直、殺気にも似たオーラを纏う釣り師の近くには近寄ることさえ憚るような雰囲気があります。聖地ゆえの厳しさでしょうか。
僕自身は鮎釣りに関しては全くの門外漢ですが、ひらさんは地元釣師の嗜み(?)として以前は鮎釣りにも興じていたと言います。
「釣り上げたとき、川風に広がるスイカに似た鮎の香りが素晴らしい」とはひらさんの言葉です。
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その日の夜、ひらさんが案内してくれたのは以前も何度かお伺いしたことのある「Y」という非常に趣のある料理屋で、そこにはひらさんのお仲間の杉本さんが待っていてくださいました。
杉本さんは鮎の友釣り一本のベテラン釣師で・・・と書けばもうその日の食膳がわかろうというものです。
実際、少々不甲斐ない僕の渓流での釣果を慰めるように、杉本さんがその日に釣り重ねた鮎を「Y」の大将が腕を振るって待っていてくれたのでした!
その晩、頂いた鮎のお皿だけ紹介したいと思います。
①「洗い(アライ)」。
冷水で洗われているだけにコリコリとした触感とさっぱりとした味は非常に品の良い味です。鮎と言う魚は案外脂が乗っているので、その油を流して舌触り良く食べるのは何とも粋な逸品ではないでしょうか。
如何にさっぱりと夏らしく食べるかが洗いの醍醐味なので、他の鮎料理とは異なり皮を引いています。やはりこの大将、只者ではない(失礼!)。
②「背越し(セゴシ)」
ワタを取り除いた鮎をそのまま骨も一緒に薄く筒切りしたものです。当然骨切りをしているのだけれど、出刃だと身がつぶれてしまうので柳刃を用いて薄く丁寧に切るのがポイントでしょう。こういうシンプルな料理は包丁の扱いがそのまま味になりますね。
洗いと異なり、弾力のある身と背骨がかすかに舌に当たるチリチリとした触感がまたよろしい。
③「塩焼き」
焼き物と言えば何をおいてもまずは塩焼きでしょう。頭から尻尾まで、また腸も一緒に食べられるのが鮎の良いところ。ほくほくとした甘い身とわずかな苦みのあるワタの妙。これこそ鮎だ。
④「田楽」
素焼きの鮎にたっぷりと塗られた甘い味噌が一段と香ばしく、次の一口を誘います。素朴な塩焼きの後に、この味噌の甘みと言うのはなかなか良いものですね。もちろん頭から尻尾までです。
⑤「ウルカ焼き」
鮎の腸を塩辛にしたものを「ウルカ」と呼びますが、そのウルカを塗って焼いたものがこのウルカ焼きです。大将によると、素焼きした鮎にウルカを塗ってもう一度さっと焼くのだとか。
正直、このウルカ焼きは日本酒のためにあるような鮎料理ですね。苦味はそれほど強くないですが、それと一体となった旨味というのかな、塩気もあってお酒が旨い!
これはどこでも食べられるものではないと思いますが、日本酒派にはお勧め。当然、頭から尻尾まで。
⑥「フライ」
鮎もシーズン初期の小型のものはから揚げにして食べることがありますが、こちらは塩焼きサイズをそのままフライにしたもので、案外珍しいのではないでしょうか。
フライと言うのは、いわば衣で蒸し焼きにしているわけですから、身はよりふっくらと甘みを伴ない、サクサクの衣との触感の組み合わせがまた面白いですね。実は昨年はじめてこのお店で頂いたのですが、その時この美味しさに目から鱗が落ちた思いでした。
これまた頭から尻尾まで。
以上が先日頂いた鮎料理の逸品の数々ですが、さらに付け加えるとするなら「鮎飯」でしょうか。これは昨年頂いたのですが、ふっくらご飯に炊き込まれた鮎の香ばしさ甘さ、さらに鮎の脂の乗りも良く感じる料理でした。
古くから続く土地の銘料理屋で食す、九頭竜川の鮎尽くし。
土地の銘酒「一本義」の辛口で舌に残る鮎の脂を流しつつ、食は進み会話は弾みます。
合いの手の様に入る大将の九頭竜川今昔物語もまた愉快。
僕はほら吹き男爵の物語を読むように、鮎の群れ泳ぐ九頭竜の深淵に大石を抱いて沈みこむように、心が広がってゆくのを感じるのでした。
やはり川だ。良き料理、良きお酒そして良き人々。すべては川が作り出す。
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