2015年11月24日火曜日

少年の魚釣りはラスカルと共に

霞ヶ浦でアメリカナマズ(チャンネルキャットフィッシュ Channel catfish)釣りに興じた一日をレポートしたところですが、実は時を同じくしてスターリング・ノース著『はるかなるわがラスカル』を読んでいました。


誰もが知っているあの傑作アニメの原作です。
その物語の中に釣りキチ少年の夢の様なエピソードが散りばめられているので、是非紹介したいと思います。

まず物語の背景についてですが、著者のスターリング・ノースは1906年に生まれ、1974年に没しています。
この物語は著者の12歳になる年の6月にラスカルと出会い、翌年4月にラスカルと別れるまでの10ヶ月間を描いています。
第一次世界大戦の影響で物資が不足しつつあるアメリカの田舎町で、一見落ち着いたように見える生活の中に様々な社会の変革が見られます。

そんな中、スターリング少年は相棒ラスカルと一緒にことある毎に大好きな魚釣りに興じています。

***

「六月」
 ウィスコンシンのホリコン沼沢地をみなもとにして、イリノイのロック・アイランドでミシシッピ川へ合流するロック・リバー―その流れにあるインディアン・フォードのダムの下の砂州は、僕の好きな釣場の一つだった。ダムの下流には、深いよどみや早瀬があり、沼地のような入り江があり、湖のように水をたたえた静かなたたずまいの大きなよどみもあった。そして美しく、なにかふしぎなものの住んでいそうな急流もあった。
 魚釣りにでかけたある日の前の晩、ぼくは懐中電灯でじめじめした芝生を照らして、大きなミミズを五十ぴき以上とっておいた。ぼくのスチール製のつなぎ竿は、自転車の車体の横棒にくくりつけた。リールや糸やルアーなどを入れた釣り道具箱は、ハンドルの前のかごに入れた。道具箱はまとまりよく、小さかったので、かごには、ぼくの釣りの相棒のラスカルの場所がたっぷりあって、つごうがよかった。
(中略)
 ようやく、秘密の釣り場に着いた。そこは砂州で、砂地の突端のすぐ下手が、よどみのある深場になっていた。ぼくはロック・リバーでは、ほかのどこよりも、ここでいちばん魚を釣っていた。ヤナギの木立のなかあに自転車をおいてから、つなぎ竿とリールを組みはじめた。絹のラインを竿にそってメノウのガイド管に一つずつ通していき、最後に穂先の蛇口に通してひっぱり、そのラインへ、短めのテグスのリーダーを結んで、よりもどしをつけ、赤白まだらのブラックバス釣りのルアーをつけた。

NYの蚤に市で買ったブラックバス用のルアー
赤白まだらはオールドルアーの代表的なカラーリング。

(中略)
 突端のすぐ下手は、おわんのようにえぐられていて、水の黒ずんだ深場になっていた。そのへりに近いところには、ヒメスイレン、スイレン、それからわたしたちが矢じり草とよんでいる、ほっそりとした花をつけた水草(オモダカ)が、岸との間に浮いていた。ぼくはブラックバスやパイクがたくさんひそんでいる場所を狙って、じょうずに釣糸を投げてから、擬似バリに食いつこうと追ってくる魚にゆとりをあたえながら、ゆっくりリールを巻きとってはしばらく休み、休んではまた巻いていった。
 一度、ブラックバスの当たりがあったが、かからず、それきり当らなかった。四、五分たってから、五百グラムはありそうな大きなサンフィッシュが、ミミズに似せた擬似バリを追って、ほとんど竿先まできたが、きらっと銀色の腹を見せて姿を消した。つづいて、十回ばかり投げてみたが、さっぱり当りがないので、ナマズ釣りに仕掛けをかえようと、リールを巻いた―ナマズは型が大きく、引きが強烈で、尾の先がわれた銀色の魚体で、なによりも大物釣りの味をたのしませてくれる。
 ミシシッピ川の水路(チャンネル)ナマズの突然変異であるこの大ナマズをあげたことのない釣師たちには、とても信じられないだろうが、どんな種類の疑似餌だろうと、シカの尾をつけた毛バリ、オイカワやカエルの生き餌はもちろん、ニワトリの肝臓やミミズなどにもとびついてくる食いしんぼうである。動きの活発な、流線型の細長いみごとなスタイルで、タマ網にとりこむまでに二十分から三十分近くも、はげしく抵抗する。

パイク釣り

(中略)
 ぼくはリーダーに青銅色のナマズバリをつけ、四つ割にした鉛の散弾をおもりにして、生きのよさそうなミミズをハリにさした。またも砂州の突端へ出て水のなかに立ち、三十メートルほど下流の、深場のそれもいちばん深そうなところをねらって、投げこんだ。十分くらいたったころ、電撃のような当りがきた。ナマズがミミズを食いこみ、いままでふけていたラインが、ぴんと二度張った。三度め、ナマズは全身でひっぱった。ラインを親指のはらでゆるめると、糸は音をたててリールから伸びていった。タイミングを見はからって、ぐいと竿をたてた。竿は弓なりになって、いよいよ魚とぼくとの格闘になった。
 ナマズはあらゆる手をつかって逃げようとした。一度はスイレンのかげへまっしぐらにつっ走った。糸をその根にからませて、切って脱走しようとしたのだ。つぎには、とうとうと流れている急流のみおめがけて突進した。それでもだめだとわかると、深場の底深くもぐりこんで、四、五分じっとしていた。ぼくは沈んでいる丸太の下にでも、もぐりこんだのだろうと思った。そのうち、いきなり水面に勢いよくおどりあがって、大きな二またの尾で水をたたき、青みがかった銀色のからだのすべてをあらわにした。

スターリング少年が釣ったのと同じチャンネルキャットフィッシュ。
霞ヶ浦にて。

 このとき、ラスカルが目をさまして、ぼくのそばにのこのこやってくると、すさまじい格闘を興奮して見物しはじめた。大ナマズがリールで巻かれてしだいに近寄ってくると、あらいぐまは、いてもたってもいられないようすで、砂州の水ぎわをそわそわ、いったりきたりして、ときどきぼくをちらっと見あげ、なにか問いかけるようなうなり声をあげた。
「すごい大物だぜ」ぼくはラスカルに言った。「こんなでかいやつは、はじめてだよ」
 ナマズを浅瀬に引きよせると、ラスカルはちょっかいをだしてさわろうとしたが、大きな尾がびしゃっと水面をたたき、そのしぶきをあびて、あわてて退却した。ぼくは獲物をやっと砂の上にあげると、ハリをはずすまえに、用意しておいた丈夫なツルを、ナマズのえらから口へ通した。せっかく釣ったこのぎらぎら光る大物を、最後の一瞬でふいにしたくなかったからだ。道具箱のゼンマイ秤ではかってみると、四キロ近くもあった。ぼくはツルをいちばんしっかりしたヤナギの根っこにしっかりむすびつけて、ミミズをつけなおし、まだ胸をどきどきさせながら釣場へ戻っていった。
 それから二時間がんばったが、それぞれ四百グラムていどの、腹の黄色いふとった大カジカが三びきかかっただけだった。その間、ぼくとらすかるは、ちょいちょいヤナギの根っこにつないだ大物を見にいった。
 昼近くなって、魚の食いがとまったので、ぼくはリールを巻きとって仕掛けをはずし、つなぎ竿を抜いた。それから大ナマズをリュックにいれ、自転車のかごにつめこんだ。ラスカルの席は、ひどくきゅうくつになった。ぼくらはごきげんで川ぞいの小道を家路についた。

自転車のフレームに釣竿を縛り付けて秘密のポイントへ・・・。
かつて釣りキチ少年だった過去を持っているなら誰もが同じ経験をしたことあるはずです。
メノウガイドの付いたスチールロッドにシルクラインを通す件は、ヴィンテージタックルファンにはたまらない描写ですね。羨ましいな(笑)。
スターリング少年は釣れないバスの変わりに大ナマズを釣り上げましたが、僕も子供の頃、バスフィッシングの傍ら、釣れない時間が続くと「吸い込み仕掛け」で鯉釣りを始めたりしたものでした。
子供の頃、目の前に広がっていた光景がそのままこの物語に展開されているようで、本当に感動しました。

***

そして少年の最大の思い出はいつも夏と共にあります。
スターリングは父親の仕事の影響もあって、スペリオル湖周辺へ2週間の旅に出かけました。

「八月」
小さな、水の澄んだ湖のなかへ突きでている岬の突端に車をとめて、ぼくたちは必要なキャンプ用品をおろし、野宿のしたくにかかった。岬のとっさきの、おそらく二十億年以上前に結晶したものと思われる、がっしりした花こう岩の岩の上で夕食用のキャンプ・ファイヤーをたいた。
 ぼくは釣竿とリールを持って、崖の下へおり、なにか誘いこむように象牙色のスイレンが光っている水面にむかって、ウェット・フライを投げた。五度目に投げたとき、ブラックバス―三キロはゆうにありそうだった―が、一気にフライにくらいついてきて、そのままスイレンの根へ引っぱりこもうとした。ぼくはやっとのことで、そいつを水からあげたが、食い意地のはったぎょろりとした目の、うろこの光った大物だった。
 きれいに洗って切り身にしてから、キツネ色に油であげると、この魚は松林の中の腹ぺこのキャンパーたちに舌つづみをうたせる、本格的なフィッシュ・コースになった。


フライフィッシングで釣った桧原湖のスモールマウスバス

ブラックバスをウェットフライで釣ったと書いているけれど、別の文脈で当時彼はまだフライフィッシング用のロッドを持っていなかったとも書いています。恐らくルアーロッドでオモリか飛ばしウキを併用して投げたのではないでしょうか。
それと、ブラックバスと呼んでいますが、これがラージマウスバスかスモールマウスバスかは物語からはわかりません。
その釣った魚をキャンプのディナーに楽しんだことが描かれていますが、実は僕も子供の頃ブラックバス(ラージマウスバス)をから揚げにして食べたことがあります。しっかりと皮を剥いでしまえばとても美味しく食べられました。

さて、物語はキャンプの目的地ブルーレー川での出来事に移ります。

 僕らはかなり上流までいった。(中略)ラスカルは皮のふちでオイカワをつかまえて食べた。陽の光がよどみの底にふかくさしこむと、大きなマスのさっと一閃する魚影を見ることがでた。たしかにこの川は、アイザック・ウォルトンのドーヴ川にも負けない、マスの多い川だった。
(中略)
 ぼくは釣竿とミミズのかんと魚篭をもっていったが、マスにはあまりめぐまれなくて、二十センチほどの小物が二ひき釣れただけだった。ぼくは注意深くハリをはずして、流れへもどしてやった。この流れにいるブルック・トラウトは、魚篭にいれるにはあまりにも美しかった。ここのマスは背びれのほうが黒っぽく、横腹には木の間をもれる陽のようなバラ模様がならび、アカモモの実のような赤みをおびた斑点もあれば、黄金色と言っていいほどのものもあった。下腹の部分は、コハク色がかった青―この川の水の色そのもののようでもあり、森の魂のかげりをやどしているようでもあった。


奥日光、湯川のブルックトラウト

ウォルトンの釣魚大全を例に挙げているあたりに、この作家が魚釣りに求めている精神性のようなものを感じます。
またブルックトラウトの描写は見事ですね。僕も毎年奥日光へブルックトラウトを釣りに出かけるのですが、川岸の、森の緑が溶け込んだような流れから飛び出る可憐で鮮やかなトラウトを見ると、その美しさに毎回息が詰まるような気持ちになります。
たしかリー・ウルフ氏のだったと思うのですが「トラウトは一度の釣りで生を終わらせるには美しすぎる(偉大すぎるだったか?)」と言うような意味の言葉を言っていたと思います。ひょっとしたらスターリングのこの物語の影響もあったかもしれませんね。

そして物語の中の【釣人視線の】クライマックスがやってきます。釣り名人との出会いです。

バート・ブルース氏―というのが老人の名だった―は、ぼくに五キロのマスを見せてくれた。その大物は暖炉の上に飾った剥製で、まるで生きているようで、水面にきらめくロイヤル・コーチマン―マスはそれに食いついたのが身の破滅となった―に向かってライズしていた。ラスカルを抱きあげて、このどえらいブラウン・トラウトを見せると、ちびはこの大物を誘惑した毛バリの赤いきらめきに誘われて手をのばしかけた。ぼくのあらいぐまも毛バリにひきつけられるもようだった。
(中略)
 ブルース氏は、毛バリで飾った帽子を、ラスカルの手のとどかない帽子掛けにかけ、ラスカルが床からそれを見上げている間に、僕に毛バリ入りの戸棚をあけて見せてくれた。ぼくはこういうものは見たことがなかった―この谷で、網でとらえたこん虫を保存したびんが、どの棚にもいっぱいのっていた。それから、これらは、釣り人が自分で巻く毛バリのモデルなのだ。
 毛バリを作るときに使ういろいろな材料がはいっている小さなひきだしは、宝石細工人の道具入れのようだった。それぞれのひきだしのなかに、ちがう種類の貴重な材料が、虫がつかないようにナフタリンの玉といっしょに大切にしまってあった。毛バリの材料になるハックルは、おもに軍鶏の雄からとったもので、レッド、ジンジャー、グリズリーなどがあり、みんなイギリスからとりよせたものだそうだ。ブルース氏は自分で赤ギツネやウサギを罠でとって、その下毛でこん虫に似せた毛バリの胴や胸をつくり、それをクモの糸のように細い金や銀のワイヤーで釣りバリにしっかりむすびつけるのだ。毛バリのテールは鳥の羽根のうちでも、もっとも繊細な部分の羽枝をたばね、毛バリのウィングはふつうムクドリの小羽根を使うのだと、説明してくれた。
 それからブルース氏はちょっとためらってから、そこだけ鍵がかかっていたひきだしの中身を見せてくれた。ぼくはすぐに、それがウッド・ダックの羽毛だと気づいた。
「わしは一生でとうとう一羽だけ射ち殺してしまった」とブルース氏は言った。
「どうしてもこの羽毛が要ったんじゃよ―毛バリによっては、これでなければならんものがあってね」
 そのひきだしのなかで、つやつやしく輝く羽毛。それは北アメリカでもっとも美しい鳥のものだった。


ロイヤル・コーチマン。
僕の最も好きなフライでもあります。

ロイヤル・コーチマンと言うフライは世界中で愛用されているクラシックフライです。もともとはウェットフライでイギリス王室(ロイヤル)に仕える御者(コーチマン)が生みの親だといわれています。

フライ・タイイング(毛バリ作り)に必要なマテリアル(材料)を自分でハンティングで調達し、自分でフライを作り、釣りそのものを愉しむブルース老人の振る舞いを指して、何かの本の中で開高健氏が「本物の紳士」と呼んでいた記憶があります。本当にその通りですね。
僕自身はハンティングの経験はありませんが、カナダに住む親友が、彼自身がハントした鳥の羽根を時々送ってくれます。その羽根で巻いたフライで鱒を釣るのは僕の大きな悦びです

スターリングの夏の物語は続きます。
彼と父親の2週間のキャンプ旅行の最終日、ブルース氏からカヌーを借りて川を下りながらの魚釣りに出掛けます。

 バートは小じゃりの砂州の上で、ぼくらがカヌーに乗りこんだのを見とどけてから、手をふって別れをつげた。ぼくらはバーとのマス釣りの淵のすぐ下流にある湾曲部を大きくまがってから、常緑樹帯のあふれる緑色のなかを、滝のように流れていった。
(中略)
 これ以上素晴しい体験はないとぼくは思ったが、つぎのマスのよどみで、それに負けないスリルを味わった。よどみのすぐ下流の瀬にバックテール・フライを投げてから、ごくしずかに、沈み木をさけて、あてずっぽうに手許に巻いていたら、ゴツンと、強いあたりがあって、竿がヤナギのようにしなった。糸がピンと張った。マスがハリにがっちりかかって、そのままスペリオル湖まで川を下ってしまいそうな勢いで、ひっぱった。


バックテール・フライの例。
ブラックノーズ・デイス(ストリーマー)

 父はよどみのゆるい流れにさからって、カヌーを固定させようと、櫂で逆に水を打った。ぼくは急流になかば沈んでいる朽木にラインをからませないようにして、けんめいにマスをあやつった。
 ほかの魚もハリにかかったら抵抗はするが、大物のマスの勢いとは優雅と勇気にくらべられるものはない―マスはその逞しい力を野生の大自然からしぼりとってたくわえているもののようだ。ラスカルもぼくに負けない興奮ぶりで、キャッキャッわめきつづけた。
(中略)
 ようやく父がタマ網をマスの下にくぐらせて、カヌーへとりこんでくれた。ぼくが一生かかってもつれないような、みごとなブラウン・トラウトだった。道具箱からぜんまい秤をだして測ってみると、一.八キロあった。
「ラスカル、おまえとどっこいどっこいの重さだぞ」ぼくはうれしくなってさけんだ。
「みごとなものだね、スターリング」
「もっと釣ってもいい?」
「いいとも」
 しかしぼくは、魚篭の底にしいたシダの上にマスをおくと、今日はほかのマスは全部、この流れのなかにそっとしておいてやろうと思った。


桂川忍野のブラウントラウト

素晴しいシーンです。
1.8キロのブラウントラウトと言えばどれ位のおおきさでしょう。60cmくらいあるでしょうか。
大物釣りには縁のない僕ですが、まれにビッグフィッシュと出会うことがあります。そんなときは喉は渇くし足はガクガク・・・恥ずかしながらとても落ちついてはいられません。
スターリング少年の夏の日のトロフィー、そのビッグフィッシュを手にした光景が目の前に広がるようです。
そしてその大物をキープした後、少年は階段を一歩上りました。
釣った直後は、その興奮の中でもっと釣りをして良いかと父親に聞きますが、しばらくしてこの大きなブラウントラウトだけで今日は十分だと納得します。
それは魚や自然に対する敬意の発露なのかもしれません。


***

以上、『はるかなるわがラスカル』の釣りの場面をピックアップして、僕の思い出を重ねるように紹介してみました。

優れた児童文学、として紹介されることが多い本書ですが、心がのびのびと広がる本当に優れた物語です。
忘れていた少年の頃の思い出に再会するような気持ちになれます。

自転車のフレームに釣竿をくくりつけ、秘密のポイントへ足繁く通った少年時代をお持ちの方に、是非一読をお勧めします!

4 件のコメント:

  1. 原作の訳本が出ているのは知っていましたが、そこに釣り描写が描かれている事は初めて知りました。
    自転車のフレームに釣竿くくり付け、途中で外れてスポークに巻き込み折れた思い出まで蘇りました(汗)
    無粋な新書など買わずに、誰かの歴史が刻まれた古本を是非探してみたいと思います。

    返信削除
    返信
    1. 本当にお勧めです。是非ご一読ください!
      あ、ちなみに僕は図書館で借りましたが(笑)。

      削除
    2. 図書の本もいいですねぇ。
      息子達が借りた本の貸し出し履歴に、妻の名前が書かれていた事もありました。
      図書の本にも履歴があって面白かったです(^^;)

      削除
    3. 履歴が分かるのもなんだかホッコリしますね。
      今はコンピュータ管理ですからわかりませんが。
      ちなみに僕は公共図書館利用しまくりで、毎月10冊前後、つまり読んでいる本のほとんどは図書館で借りています(笑)。
      ネットで検索・予約できるので非常に楽です♪
      難点は人気本は予約しても何ヶ月も順番を待たなければならないことでしょうか?(笑)

      削除