2017年1月2日月曜日

狩人的小話①「川」


 欧州の田舎をバックパック担いでてくてくと歩き回っていた時期があって、その頃特にスペインのカルチャーには強い興味を覚えていました。スペインは欧州の中でも独特の文化を有していて、何度行っても興味が尽きることはありませんでした。
 例えば旅の間に出会った、同じく旅行中の他のヨーロッパ人と話をすると、彼らもまた「スペインは面白い」と答えてくれるのだから、極東と呼ばれる島国から出向いた旅人の目が輝き続けるのも、さもありなん。否、ひょっとしたら我々よりもヨーロッパの人々の方が中世以降スペインに対してずっとある種のエキゾチズムを抱き続けてきたのかもしれません。

 近年、世界中でかつての国家間戦争とは違った形の過激な暴力が横行し、その過程と結果において、暴力を引き起こす側も押さえつけようとする側も宗教上の言葉を建前として引用するのだけれど、スペインの歴史はまさに異宗教間の衝突と融合の繰り返しであったと言われ、確かに有名な観光地のモニュメントを幾つか観てまわるだけでもそれはすぐに理解できるでしょう。
 スペインのガイドブックを開くとキリスト教徒による国土再征服「レコンキスタ」が必ず紹介されているのだけれど、その際イスラム教からキリスト教へ改宗したモーロ人技術者の手によるゴシック建築は「ムデハール様式」と呼ばれて、それはやがてヨーロッパ中を席巻するバロックの豪華さに匹敵していました。この国の歴史に見られる融合や寛容の事実をもう一度確認し、参照することは大きな意味のあることだと思います。


 蛇足ながらナポレオンはそこにヨーロッパ文明以外の痕跡を認めたからだろうか、確かスペインを念頭に「ピレネーを超えたらそこはアフリカだ」と声に出したはずだ。
 実はその言葉を思い出したのは2010年のサッカー、南アフリカワールドカップでスペインチームが優勝した時でした。それ以前、ヨーロッパのチームはヨーロッパ大陸以外でのワールドカップ開催では優勝できないと言われていて、その前例を初めて打ち破り、他大陸開催のワールドカップを手にしたヨーロッパのチームがスペインでした。ただしナポレオン説によるとスペインは・・・(冗談)。

 さて、彼の地にはフランスやイタリアに負けない良いワインがあって、その名産地であるリオハやナバラ、或いはガリシアの葡萄畑を歩くのは楽しかったなぁ。緩やかな起伏とうねる葡萄畑の絨毯の近くには必ず川が流れていました。何を当たり前のことを、と思うかもしれないけれど、彼の地では内陸や南部を旅すると、その台地(メセタ)や大地は見事に乾燥していて茶色いうねりしか見られなくなるから、豊かな川の存在は貴重で、決して当たり前ではありません。

 あれは夜行バスでセビージャを目指した時だったか。夜明け前に目が覚めて群青色の空とやがて消えゆく星の流れを車窓に覗き込んだ時です。上空の劇的な星の美しさに比べて、下半分は未だ漆黒で何も映し出されてはいませんでした。ただ緩やかに大地は延び、あれも畦道と呼ぶのだろうか、不定形な畑の形が徐々に浮かび上がってきました。もっともあの何も作られているようには思えない乾いた土の色を畑と呼ぶならではあるけれど。
 時々その地面の遠くのうねりの中で立体的な影が見つかるけれど、背の低いシルエットはオリーブで、背高の影はポプラだろう。

 車窓の風景に朝が来た時、僕はその乾燥した大地を走るバスの中でピカソを理解しました。地面の色は薄い茶色もあればピンクに見えることもあり、空は鮮やかなブルーで太陽は赤い。通り過ぎた村の建物は漆喰を塗りこめた白。
 それはあまりに抽象的な乾いた世界で、とても現実とは思えませんでした。だからピカソは自分の目でみたまんまを描いただけなんだ。アンダルシアの都市マラガで生まれた彼は、子供の頃から見慣れた郊外の風景を正確に写実したに過ぎない。すべて事実だったんだ。


 つまりそのピカソ的な風景に比べると、葡萄畑が広がり、傍らに川が流れ、その川に沿って街のざわめきが漂う光景と言うのは、豊かさを直接感じ取れる風景なんだと言えるでしょう。そして外部からその葡萄畑のある街や村に自分の体で入っていくと、「豊かさ」の実感、実態、意味が分かってきます。日ごろ無意識に感じている、或いは憧れている「豊かさ」が目に見えてきます。

 食べ物が美味しいんだ。
 葡萄畑が広がっているのだからワインが美味しいのは当たり前。そして美味しいワインが作られるところはやはり食べ物が美味しい。
 痩せたジャガイモしか作れないような土地では、仮に魚が獲れても揚げ物くらいしかメニューがない。ブロイヤーやその土地と関係のない牛の肉が並ぶだけでは食を文化とは呼べないだろう。
 ところが川に豊富な水が流れていれば多種の野菜が栽培できる。土地に潤いがあれば昆虫も鳥も動物も集まる。土地の料理・ジビエと分かちがたい文化として狩猟もまた息づくのは必然だ。


 葡萄畑を歩く。「フルーツとは違う、ワインのための葡萄だから美味しくはないよ」と、そう言われてはいたけれど、街道沿いの一房をちょいと失敬してその酸味のある小振りな粒を舌の上で転がしつつ歩くのは愉しかった。そして、しばしば狩人に出会いました。
 地方の村の周りに広がる葡萄畑は狩猟場を兼ねていることが多く、僕はそこで彼らの話を聞くことが好きでした。知らない土地で釣りをするときと同じように良く話を聞きました。何がどれくらい獲れるのか。

 狩猟場にはプリヴァーダと呼ばれる私有地とプブリコと呼ばれる公有地があって、場所によっては立札が土地を分けています。しかしその土地の獲物については私有地か公有地かの違いよりも、当然ながらもっと大きな土地、地域の差異の方が影響していることが分かりました。当たり前だけれど、より自然の密度が高い方が獲物が多いようです。
 僕が直接見聞きした中で具体的に名前を挙げると、ナバラ或いはリオハと言った地域はワインも有名で実りの多い地域ではあるけれど、街の規模が大きいためか狩猟の獲物は鶉(ウズラ)がメインでした。もちろん首都であるマドリード郊外の村でも同様です。それに対し北部のガリシア地方では森も多く、獲物は鶉のほかに兎や狐も多いといいます。狐を食べるのかどうかは聞いていないけれど、鶉や兎はディナーとなり、特に鶉は多くの地域で狩猟の対象としてもジビエとしても人気が高いようでした。


 豊富な水をたたえた川の流れが起因してワインや農業の実りがあり、狩猟から肉料理の発展があった。釣り人なら次に気になることは魚のことに違いありません。
 「その川に何が泳いでいるのか、釣れるのか?」
 もちろん鱒が泳いでいます。北部の川には鮭も上ります。日本の鮭とは異なり、大西洋・ビスケー湾から上ってくる大西洋鮭(アトランティック・サーモン)です。鱒はと言うと、欧州原産のブラウントラウトがメインで、ほかには米国から移入・養殖されたニジマスも放流されています。もちろん釣り人はミミズで釣り、ルアーで釣り、毛鉤でも釣ります。

 毛鉤。フライフィッシングに注目したいと思います。
 ご存知の通り、フライは鶏をはじめ様々な鳥の羽根、動物の毛を用いて作られます。古くから養殖が盛んな鶏を別とすれば、最も重要なのはフェザント(キジ)、パートリッジ(ウズラ)、ヘア(ウサギ)、ディア(シカ)と言ったところでしょうか。
 ウズラとウサギ。もう何を言わんとしているかお判りでしょう。いずれも先に挙げた狩猟の主要な獲物となっています。キジもウズラと生息域が重なるので同様と言って良いでしょう。
 川が流れる。葡萄や野菜を栽培し、そこに集まった鳥や獣を撃ち、毛鉤が作られ川の鱒を釣る。鱒の腹に香草を詰めて蒸し、グリルされた鶉や兎の肉には野菜を添えてテーブルに並べ、グラスにはこってりとした土地のワインが満たされるだろう。

 一本の川が生活を満たす。川が文化をつくる。
 「釣りは漁(すなど)るのみに非ず」と、そんな言葉も頭をよぎります。

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